Qurasu

最近結婚したアラサー男子が、日々の生活の中での気になったことなどを書いてきます。

先日、母親が亡くなった。

先日、母親が亡くなった。

60代の母は、ガンが発覚してから8年だったので、いつそうなってもおかしくなかったのだが、家で倒れてからはあっという間だった。

癌を伝えられた日から

8年前、離れて住んでいる私のアパートに両親が訪れた。

なぜかその時付き合っていた相手の親に会いたいと言い出したので、どういうことなのと何回か聞くと、言いづらそうに、すこし笑ったような顔をしながら、がんになったからと伝えられた。

その時の一瞬が今でも印象に残っていて、思い出すといまでもつらい気持ちになる。その時の母は健康そうな様子で、8年後にこんな状態になるとは想像もできなかった。

しばらくしてその彼女とは別れることになったのだけれど、それを親に伝えたとき「お母さんがガンになったから?」と申し訳なさそう聞かれたのがつらかった。実際その彼女には親がガンというのは伝えていなかったし、親にはそのまま答えたのだが、嘘をついたと思われたかもしれないとなんとなく思っている。

それから、余命1年と宣告された母だが、数年は働いていた。それから少し経った後、歩けなくなってしまった時があって、そこから入退院を繰り返しながら、抗がん剤の副作用もあって徐々に体力が奪われていったような感じだった。

最後の入院

だいたい3週間近い入院になった。

家で突然発作のようなものを起こし、救急車で運ばれたようだった。その日のうちに病院に向かったが、話しかけると頷く程度しかできない状態だった。

それから何日か経って、薬で眠らせて、機械で呼吸させている状態になった。

母が亡くなってしまってから父親に聞いた話だと、延命しないという選択はできなかったということだった。

タンの吸引が2、3時間に1回程度あり、それをやると心拍数が急激に下がるので怖かった。

血圧も高くなりすぎたり、低くなりすぎたりといったことがたびたびあった。

わたしも病室に泊まったが、上記に書いたように不安定な状態だったので、ほぼ寝れないまま朝を迎えた。

父親はほとんどの間病院にいたので、心配になった。

それから程なくして、鼻や口から血を吐くようになり、ある日の朝に亡くなった。

私は間に合わなかった。でも離れて住んでいるので、仕方がないと思うようにした。

亡くなってから

亡くなった日の昼に実家に着き、玄関を開けると線香の匂いがした。奥の畳の部屋、そこに敷いてある布団に母が寝ていた。

呼吸器を刺していて、それを固定するためにテープで留めていたのだが、皮膚が弱くなっていてテープと一緒に剥がれてしまうことがあったので、傷が目立った。目の周りにもあざのように赤黒く変色があった。

おでこを触ると少しぬるいような、でも冷たくなっていた。

通夜、告別式、近所の人、親戚、お坊さん。父親がほとんどのことを進めていた。

火葬する直前、実家を出棺する最後の別れの時、いままで堪えていたものがあふれてしまう人も多かった。

来年小学校に入る姪も告別式では大泣きしていた。自分もそのくらいの小さいときに葬式に出たことがあったが、外で遊んでいただけのような気がする。

自分の母がなくなるということ

8年前きかされ、徐々に悪くなっていく様子を見ていたので、理解は出来ていた気がしていたがあまり実感がない状態だ。

とはいえ、母親の同僚に、母親の思い出話をされると涙をこらえきれなかったし、会社の人に母の状況を伝えようとすると突然涙が溢れそうになってしまった。

母のことを聞いたり、話そうとすると、どうしても思い出してしまい、亡くなったことを再確認してしまうからだろうか。

今回に限らず、自分はつらい時、忘れることで乗り越えてきたと思っている。時間が経ってある程度記憶の量が減れば思い出しても平気になるのだろうか。

幸い、自分には妻がいるし、実家も出てしまっているので、あまり記憶のかけらに触れる機会も少ないのだが、父親は、妻を亡くし、思い出の詰まった実家にいることになり、ことあるごとに思い出すことになるのではないかと思っている。

まだ60代。あと10年20年生きられたら父親といろんなところに行けただろうと思うと本当に胸が締め付けられるような感覚になる。

かなりつらいと思うし、なにか気がまぎれるようなことができらと思う。

なぜか覚えている瞬間

なぜか印象的に思い出すのは、まだ私が小さい頃、陽のあたる暖かな縁側で窓のサッシの掃除の手伝いをしていたところだ。床の木が光に照らされて黄金色に包まれていて、まだ若くて元気な母がそこにはいた。

がんを知らされた場所も、当時私の住んでいたアパートの窓際で、日差しの暖かな日だった。